鉄道事故とメディア

僕は基本的にヲタという人種があまり好きではなくて、まぁそれは往々にして僕の独断と偏見によるものなんですがとりあえず今のところ誰かに迷惑をかけているわけでもないのであえて独断と偏見を採用させて頂いてます。けれどもヲタのヲタたるベクトルにおけるエネルギーというものについてはそれが良いか悪いかは別として一目置いていまして、それが世間に少なからず影響を与える、ということは認めざるをえないと思っています。
そんな感じで「無知は犯罪〜尼崎事故を見て思ったこと」を読んでみました。この記事を書いている人は自ら鉄道ヲタと言うことを認めていてその上でそれを生かしてこの記事を書かれました。恐らく実際にリアルの友人が目の前で「ATS-Pが云々…」と言い出したらちょっと引くと思いますがこの記事からそういう印象を受けないのはネット上だからなのか扱ってる問題がシリアスだからなのか。
で、本題。
鉄道の仕組みや構造等はよくわからないのでそこを省いて要約すると結局は「メディアの言うことを鵜呑みにするな」と。まぁ、これ自体もう何年も前から言われつづけていることで、インターネットと言うパーソナルメディアが発達した現在に、未だ言われつづけていること、さらには言われないと気付かないことというのがおかしいような気もします。やはりテレビ・新聞の影響は強大というべきか。一家に一台パソコンなんてのが常識のようになってはきましたがやはりテレビの気軽さには及ばないところがありますからね。
「インターネットは情報が多いから各人がフィルタリングする必要がある」とは良く言いますが結局のところフィルタリングの必要ってのはインターネットに限らないわけで、極端な話人間はフィルタリングしなければ生きていけないんです。人生取捨選択。当たり前な話ですがね。世の中に溢れてる情報を取り入れるかどうか、信じるかどうかは各人のフィルタリング精度に依存してる部分がほとんどです。だからと言って書き手が何でも書いていいか、というわけでもなく。受信のフィルタリングが必要なのと同じように発信にもフィルタリングていうのは必要で(但し、これは自分のため、というよりは受信者のためで、インターネットで言うところのネチケットのような概念に近い気がする)書き手はそれを意識する必要がある。発信者の受信フィルタリングがおかしければ当然発信するものの内容もおかしくなるわけで。最近のジャーナリストや報道関係者なんかにはこの傾向が見られるような気がする。そうなった時には自分で判断するしかない。自分で手に入れた情報が必要なものなのかそうでないものなのか。情報化社会の中で情報に踊らされずに情報を活用するにはそのスキルが非常に重要なのだ。