「嫌なら見なければよい」の間違い 〜「嫌だからこそ見る」心理

http://d.hatena.ne.jp/madness/20050501#1114966456
またしても「個人WEBサイト文化研究所 主任私記」さんより。こちらで書かれていることはどれも面白いテーマばかりで興味深いです。


で、今回のテーマ。
「嫌なら見なければよい」
という発言について。まず第一の点「見る側は嫌だからこそ見に来る」というのは、主張にもよりますよね。例として挙げられている「人を殺す」「資源の無駄遣い」云々の話は確かに自分or他人にも影響を及ぼしかねないので抗議は正当であり、そういう抗議に対して嫌なら見るな、というのは的外れというか意味のない発言です。でもこれがもっと一般的なレベルの主張であった場合は嫌だから見に来るというのは当てはまらないのではないかと。例えば何かの映画なり音楽なりの内容の解釈について突拍子もないことを書いてる人がいた場合。閲覧者は何らかの経路でその解釈について見た、と。この場合は「嫌だから見に来る」のではなく「見に来た結果嫌だった」わけです。その後嫌だから見に来なくても結局そのことによって誰かに危害が及んだり自分に影響があるわけじゃない。であれば「嫌なら見るな」というのはある程度の正当性を持ってると考えても良いのではないかと思います。ただ、インターネットという公の場に発表した以上、それを見るのも抗議をするのは閲覧者側の自由だと思うので、発表した側が抗議等は受け付けない、というのであればコメント欄やメアド等を表示しないとか、はてなで言うと「続きを読む」表記にしてその前に一言断りを入れておく等の処置をしておくべきかと。そこまでしてしまうとネットに発表する意義自体あんまりないのではないかという疑問も生じますが。
madnessさんの所で取り上げられているもう1つの点について。こちらの方が重要な論点ですね。コメント欄で述べられているように、権利と義務(責任)の話になりますね。自分の権利だけ主張して他人の権利は丸きり無視、というのじゃ小学生だって納得しません。無論、この原則は抗議した側にも当てはまります。「自分が気に入らないからそんなのは駄目だ」じゃ話になりません。(そこから議論してどちらかが納得するような結果になればいいんですが。)こういった話の場合は両者とも感情的にならずに論理的に話を進めるのが大事です。まぁ「わかっちゃいるけど…」だとは思いますが。